『キングダム』の中でも、圧倒的なカリスマ性と残虐さを併せ持つ存在として強烈な印象を残した六大将軍・桓騎。
常識に縛られない戦い方と冷酷な決断で数々の戦場を制してきた一方、その生き様は常に賛否を呼んできました。
物語が進む中で描かれた桓騎の最期は、多くの読者に衝撃を与え、「なぜ桓騎は死ななければならなかったのか」「最後に何を成し遂げたのか」といった疑問を残しています。
この記事では、桓騎の死亡シーンを詳しく振り返りながら、死亡理由や最期の戦いで見せた活躍、さらに史実における桓騎の実像についてもあわせて解説していきます。
キングダム六大将軍「桓騎」の死亡シーン詳細!死亡理由や最後の活躍まとめ
| キャラクター名 | 桓騎 |
|---|---|
| 死亡情報 | 第69巻 752話「聖地へ」 |
| 所属・役職 | 秦国六大将軍 |
死亡までの流れ
- 王翦の閼与攻め
- 秦北東部連合軍を狼孟軍が急襲
- 宜司平野へ誘い込む罠
- 宜司平野での開戦
- 宜司平野の戦いの結果と桓騎軍の抵抗
- 異様な陣形
- 桓騎の鉞(まさかり)
- 宜安城入場
- 肥下の戦い
- 首斬り桓騎の最後
①王翦の閼与攻め
趙北部攻略のための拠点として王翦・桓騎連合軍が攻めた閼与城。
田里弥軍による攻城戦では、大梯子による攻撃をしかけますが、趙兵士による「道連れ戦法」によって、予想外の苦戦を強いられることとなります。
桓騎は、田里弥軍率いる王翦軍に攻略をまかせ、離れた場所で戦闘を観戦しながら食事をしています。
この壁上で戦っているのは、昨年桓騎によって虐殺された投降兵たちの親・兄弟・子ら遺族たちで、桓騎の十万斬首への恨みからすべての兵がこの「道連れ戦法」を遂行しました。
そんな時、王翦軍の間をぬって、扈輒(こちょう)将軍の残党である虎白騎兵隊と龍白騎兵隊が桓騎将を狙って出陣します。
龍白公は飛信隊李信が撃退、虎白公は逃亡。結果、閼与城を占拠した王翦軍でしたが、
当初予定していた3倍の日数を費やし、死傷者数も想定の3倍となってしまいました。
そのため、今回の宜安攻めには王翦軍が参加できなくなります。
②秦北東部連合軍を狼孟軍が急襲
太原から出陣した秦北東部連合軍20万人が、趙の狼孟軍の奇襲によって5万人しか王翦軍に合流することができなくなりました。
狼孟軍大将カン・サロが秦北東部連合軍20万人の先頭から5万人ほどの横っ腹に奇襲をかけ、秦大将曹波広を撃破。
狼孟軍副将ジ・アガが、秦軍の後方軍を、太原方向へ押し戻した結果、先頭の5万人だけが閼与城の王翦軍に合流することになります。
これも李牧の作戦の1つで、秦軍が宜安攻略戦を断念しない程度に、人数を減らしたのです。
③宜司平野へ誘い込む罠
桓騎連合軍が、宜安城にむけて、いよいよ未踏の地趙北東部へと足を踏み入れます。
道中趙軍の奇襲を警戒しながら進む秦軍。
そんな中、壁将軍部隊のナジャラ族は、「コノママ進ムト全員無事ニハ帰レナイヨ」「嫌ナ風ガズット吹イテイル」と不吉な予言をしました。
趙北部に入った桓騎連合軍は敵の急襲に備えながらさらに進みますが、ただの一戦も交えず、宜安城まであと二日程の所まで進攻しました。
これも李牧の相手を油断させる戦略ですが、秦軍は「連携して防御線を作る時を与えず速やかに進攻した結果だ」と考えます。
さらに、いよいよ趙北部攻略戦のはじまりだと思っていた赤麗城でも、秦軍の予想に反した状況になりました。
というのも、赤麗城に残っていたのは老人や病人の数十人だけで無条件で城を明け渡したのです。
「死傷者無しで赤麗まで取れるなんて、幸運以外の何物でもない」「秦軍はもうこれ以上ない形で宜安攻めに臨める」と河了貂は思いますが、これらすべて、秦軍を油断させて、戦いの地である宜安平野へ誘い込むための策略だったのです。
④宜司平野での開戦
宜司平野に侵攻した秦軍は、籠城せずに宜安城から出陣してきた趙軍を秦軍にとって好都合と考えますが、その考えはすぐに打ち消されます。
なぜなら秦軍14万人に対して、趙軍は31万人の軍用で迎えたからです。
李牧は、「半年もあれば北部の兵を総動員する準備はできますよ。むずかしいのはそれを悟られないようにすること。そして、北部攻略をあきらめぬ程度に秦軍の数を減らことでした」と作戦を打ち明けます。
そうとも知らず、宜安平野に乗り込んだ秦軍。そこで秦軍14万人に対して、趙軍31万人の圧倒的人数差で宜司平野の戦いに誘い込まれたことを知ります。
⑤宜司平野の戦いの結果と桓騎軍の抵抗
宜司平野の戦いは、秦軍14万人に対し、31万人の趙軍の一斉攻撃で始まります。
秦軍は、中央軍に桓騎軍、前衛軍に壁軍、右翼軍に飛信隊、左翼軍に楽華軍の配置で趙軍に挑みますが、圧倒的な人数差から四方八方から趙軍の総攻撃を受けます。
2倍以上の趙軍が李牧の情報封鎖によってその姿を隠し、桓騎軍を趙自国深くまで誘い込んでの開戦。
兵力差も地の利もすべてが考えに考え抜かれた策に桓騎軍は防戦一方となってしまいます。
⑥異様な陣形
開戦当初から桓騎は何の指示もださないまま、秦軍は各所で負け続けます。
飛信隊・蒙恬軍が脱出したあとも、何の手も打たない桓騎を見て、李牧は、「それが桓騎の弱点です。そもそも桓騎は、普通の将が持ち合わせているものを持っていない。動きたくても動けないのですよ。奇策以外の手段を知らぬというのが大いなる弱点です」と言い放ち、このまま数の力で兵を減らしていき、何も動けない桓騎を殺すと部下たちに伝えます。
桓騎軍の将校たちも、何もしない桓騎に指示を仰ぎますが、何の指示もありません。
いよいよ追い詰められた局面で桓騎は、「摩論伝令だ」「頭を張っている全頭達にだ」と、一斉に陣形を作る指示を出します。
出来上がった「十字型の陣形」に、味方も敵も戸惑いを隠せません。
なぜならこの陣形は、李牧も知らない陣形で、李牧にして「ただのハッタリだ」と言わしめた陣形です。
でもこの陣形作りも実は、桓騎の時間稼ぎだったのです。
開戦当初から、指示を何もださないのも、李牧がハッタリだと言った陣形もすべては、暗闇になるまでの「桓騎の時間稼ぎ」だったのです。
趙軍が弱くなり、元野盗の桓騎軍が強くなる「日没」になるまでの時間稼ぎを2倍以上の戦力差に取り囲まれた時から、桓騎は企んでいたのです。
⑦桓騎の鉞(まさかり)
突破をねらって一斉に動き出した桓騎軍。その中でも先頭に立って突破をはかったのが、ゼノウ一家(桓騎の鉞)です。
ゼノウ一家の圧倒的な破壊力で、李牧軍の包囲網を突破しますが、ここで桓騎は、一家の中心的存在であったゼノウ一家を失います。
このことが、桓騎軍にとっても桓騎にとっても大・大・大損失となり、桓騎の死亡につながる要因の一つだと考えます。
⑧宜安城入場
暗闇を利用して逃げた桓騎は、飛信隊・楽華軍が占領した宜安城に入場しますが、この城にも李牧の罠がありました。
桓騎が、宜安城の住民を人質にして籠城すると読んで、あらかじめ住人の数を減らしていたのです。
そのため、桓騎軍は籠城する作戦を捨て、肥下城へ向かいます。
⑨肥下の戦い
宜安城を取り返した李牧軍でしたが、そこには桓騎軍がいないことが分かります。
城内には、李牧に向けたメッセージがあり、バラバラにされた兵士たちの遺体とともに「肥下の惨劇を史に刻む」とありました。
それを見た李牧は、「桓騎の行き先は東の森林地帯の先にある肥下城です」「間違いなく桓騎の狙いは肥下の十万規模の人質です」と考えます。
桓騎軍が肥下に向かったことが判明し、趙軍は全軍が肥下城へ向かって出陣しましたが、すでに肥下城に火が上がっているという情報が入り、李牧を含め趙軍すべてが城が攻め込まれて落城したと考えます。
しかし、これらはすべて李牧の行動を読んだ桓騎の策略でした。
肥下城へ向かう途中の森林地帯に、桓騎軍が潜み李牧軍に一斉に攻撃を仕掛けます。
秦国方面へ逃げずに、李牧を待ち伏せしたのは、桓騎にとって最後の博打と言えるでしょう。
李牧は警戒していたにもかかわらず、「相手の本陣を薄くして奇襲をかける」という桓騎のいつもの手にひっかかってしまいます。
こうして、李牧の護衛部隊vs桓騎軍の戦いが始まりました。
⑩首斬り桓騎の最後
李牧をなかなか討てない桓騎軍ですが、とうとう李牧軍の騎馬隊に囲まれてしまいました。
死を覚悟しながら降伏しない桓騎軍に、李牧は一斉攻撃を命じます。
最後まで抵抗する桓騎軍。そこに、以前の部下で飛信隊に移っていた那貴も駆けつけます。
「俺にとって飛信隊は仲間で、桓騎は家族だった」のセリフはグッときますね。
桓騎は最後、李牧に肉薄したところで討たれます。
キングダム六大将軍「桓騎」の生前の活躍のまとめ
- 山陽の戦い
- 黒洋丘の戦い
- 趙の鄴攻め
- 趙の扈輒(こちょう)将軍の戦い
山陽の戦い
桓騎がはじめてキングダムに登場した戦いです。
この戦いは、秦軍蒙驁と魏軍・廉頗が大将となり魏の領土山陽の地を取り合う戦いです。
秦軍蒙驁の副将として、桓騎が登場します。
蒙驁将軍が真正面から敵を攻めるセオリーどおりの戦いをするのに対して、桓騎将軍は、奇襲や敵兵の遺体利用など予想できない変幻自在な戦い方で敵将を倒していきます。
廉頗四天王の一人玄峰を討取った時は、敵兵の甲冑を身に付けた桓騎が玄峰陣地に伝令係として潜り込み討ち取ります。
ある時は、敵兵の遺体を大量に介子坊軍に送りつけ、兵士の士気低下をもくろみます。
最後は、魏本陣にいた白亀西将軍を討ち本陣を陥落させます。
この戦いで、桓騎の残虐さが知れ渡ることとなります。
黒洋丘の戦い
この戦いは、秦軍が中華統一の足掛かりとして、趙の黒洋丘を攻めた戦いです。
秦軍は桓騎が総大将となり桓騎軍5万、飛信隊8千人とともに戦います。
それに対して、趙軍は、慶舎が総大将、紀彗が副将として秦軍を迎え撃ちます。
この戦いは、黒洋丘にある5つの丘を占拠することが勝利条件です。
各陣営が丘取合戦をする中、飛信隊の信が敵総大将慶舎を討ち取ります。
これで一気に桓騎軍が優勢かと思いきや、桓騎軍は丘への進攻を止めてしまいます。
桓騎は、戦いのターゲットを丘を攻めから、趙の紀彗副将個人に代えていました。
趙兵士から、紀彗の離眼城の秘密を聞き出した桓騎は、丘の周りに点在していた村の女、子供を虐殺し巨大な骸の像で作った像を紀彗に送り付け、「離眼城でこれ以上の悲劇を起こしてやる」と脅しました。
ここにも桓騎の残虐性が現れています。
黒洋を離れ、離眼城へ向かう桓騎軍を追って、紀彗軍は黒洋を離れます。
それを見た桓騎軍は、黒洋へ戻り、趙軍が作り上げた陣地をほぼ無傷で奪い取ります。
この戦いで桓騎は、通常の戦闘の死者数の半分以下で勝利をおさめることとなりました。
趙の鄴攻め
秦軍は、趙の山陽から趙攻めを行う予定でしたが、趙の李牧の防御策が思った以上に強固となったため、15年で中華統一するという目標が不可能だと秦国の総司令官昌平君は考えます。
その15年で統一という計画のために、趙の王都圏にある趙国第2の都市鄴攻めを決行します。
総大将王翦・桓騎・楊端和の連合軍で趙国へ進攻し、桓騎軍は鄴城を取り囲み、王翦軍が朱海平原で李牧軍に勝利し、鄴を解放しにくるのを待ちます。
兵糧合戦となり秦軍は圧倒的に先に兵糧が無くなろうとしている中で、桓騎は兵を侵入させ鄴城内の食糧庫を焼き払うという作戦にでます。
その結果、鄴は食糧が尽き、城内の民が自ら城門を開けて逃げだしてくることとなります。
これによって、秦軍は鄴を占拠します。
趙の扈輒(こちょう)将軍の戦い
鄴を攻略した秦軍は、趙の王都邯鄲を目指して進攻します。
激化する戦争を有利に進めるために、秦王嬴政は戦争の自由をゆるされた「六大将軍」を復活させます。
第5将に任命された桓騎は邯鄲の手前にある平陽城に向けて進攻します。
桓騎は、桓騎軍8万人対扈輒軍24万人という圧倒的不利の中、趙扈輒軍との戦いに挑みます。
開戦当初は、桓騎軍右翼2万、中央軍4万、左翼2万で始まった戦いも圧倒的人数差により、各所で敗戦が続きます。
誰もが敗戦を予想し後退することを進言する中桓騎は、「全軍を前へすすめる」命令を出します。
ところが圧倒的に戦局を有利に進めていた扈輒軍の本陣に桓騎兵が奇襲をかけます。
奇襲をかける桓騎兵がどんどん増え、最後には扈輒将軍を討ち取ってしまいます。
扈輒軍は、脱走する桓騎兵を見て、人数がどんどん減っていると考えていましたが、実は残った兵、脱走した兵の他に遺体にまぎれたり、穴の中に潜んだりして隠れた兵がいました。
扈輒軍が前線をどんどん進めるうちに、この隠れた兵の上を通り越してしまっていたのです。
8万人対24万人の圧倒的不利な人数で戦いを始めたときから桓騎は、この戦法で扈輒の首を狙っていました。
扈輒将軍を討ち取った桓騎軍は、扈輒兵を捕虜とし、結果、桓騎はこの捕虜兵十万人を皆殺しにしてしまいます。
桓騎の史実情報
李牧が指揮をとった肥下の戦いでは、李牧軍が秦軍を撃破し、桓騎将軍も討死となる(前233年)とあります。
『史記』では、「命からがら落ち延びた」ことになっていますが、この敗戦を境に桓騎将軍は『史実』にもまったく登場しなくなるため、討死という考え方が自然かと思われます。
あるいは、落ち延びたものの、敗戦の責任を取らされて死を賜ったか、秦に帰国することなく燕に亡命したと考える人もいました。
燕では樊於期と名のった説もありますが、(世界史劇場〜春秋戦国と始皇帝の誕生より、作者神野正史)キングダムでは樊於期は成蟜の乱ですでに登場しています。
それ故に、キングダムという作品では秦将軍として討ち死にさせることに作者はしたのでしょう。
まとめ
死亡までの流れ
- 王翦の閼与攻め
- 秦北東部連合軍を狼孟軍が急襲
- 宜司平野へ誘い込む罠
- 宜司平野での開戦
- 宜司平野の戦いの結果と桓騎軍の抵抗
- 異様な陣形
- 桓騎の鉞(まさかり)
- 宜安城入場
- 肥下の戦い
- 首斬り桓騎の最後
本記事は、桓騎の死亡情報についてまとめました。
「キングダム」における桓騎の死は、読者の間で非常に大きな反響を呼んだ重要なシーンです。
無敵の奇襲戦法で数々の強敵を倒してきた桓騎は、“死ぬはずがない人物”として見られることが多く、その退場は多くの読者に強い衝撃を与えました。
一方で、最期の瞬間まで仲間を逃がし、自ら殿を買って出る姿勢には、残忍さの裏にある“弱者への怒り”という桓騎の本質がにじみ出ており、「最期まで桓騎らしかった」と高く評価されています。
ただし、李牧との決着があっさりしていたことや、六大将軍になった桓騎が正面戦で敗北した点に対し、「もっと派手な最期が見たかった」という否定的な意見も一部にはあります。
とはいえ、史実では桓騎が李牧に討たれたとされているため、作品として歴史を踏まえた自然な展開だという声も多く、物語としての納得感も十分にあります。
総合すると、桓騎の死は賛否が分かれつつも、「忘れられない名シーン」「桓騎という人物の美学が詰まった退場」として、多くの読者に深い印象を残す重要なエピソードとなっています。
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